踏路社の悲劇

さて、この踏路社なる劇団、調べれば調べるほどいい加減な記述に出会う。それも有名な演劇評論家先生が適当なことを書いているもんだからタチが悪い。築地小劇場とゴッチャになっていると思われる話も見受けられる。その辺りは新劇史、延いては日本に於ける演劇史の為にも明らかな間違いは正して行くべきだろう。

 

さて、単純な間違い(ミスと呼ぶにはあまりにいい加減)として目立つのは第一回私演について。「画家とその弟子」が正解なのだが、「出家とその弟子」などという記述を見かけたりする。話し言葉ならば、もしかすると「言い間違い」のレベルで済まされる範囲かも知れないが・・・それもネットでの書き間違いではなく、演劇史の本として出版されていたりするのはチト問題だ。

 

「長与善郎だよ!」もしくは「倉田百三かっ?!」 などとツッコミを入れたくなるのは私だけだろうか?

 

さて、この踏路社なる劇団、築地小劇場〜俳優座と新劇の発展に偉大な足跡を残した俳優・演出家の青山杉作、日本で最初の巨匠映画監督などとも呼ばれる村田實、宝塚歌劇のレヴューを創ったと言われる「モン・パリ」で有名な岸田辰弥等、その後、日本の演技芸術(この文脈では敢えてこう呼びたいと思います。)に、それはまるでプリズムの様に各方向へとそれぞれの仕方で影響(方向性)を与えた偉大なる人物たちを多数輩出した稀有な劇団だ。

 

それにも拘らず、いい加減な記述が目立つのは実に嘆かわしいと言わねばならない。そういった「いい加減な記述」の背景に、当時絶大な力を持っていた或る演劇人の意図(もちろん「直接に」とは言わない。あくまでも「背景に」ということではあるのだが・・・)とでもいった様なものが見え隠れしている様に感じるのは深読みのし過ぎだろうか? 彼のインタビューを読んでいると、演劇史を自分に近づけて語る傾向が強い様に思う。爺さんの葬式での或るエピソードが彼の本音(性格)を物語っている様に思われるのだが・・・この話はここまでにしておこうと思う(この場では)。私としては、誰かを悪人に仕立てようという意図はないので。

 

ちなみに爺さんはこの劇団で何をしていたかと言うと、今で言う「演出」の様なものを主に担当していた様だ(本当の意味での演出としては、本人によれば第五回私演イプセン「幽霊」が最初だと言うが、木村修吉郎氏の回想によれば、第一回私演「画家とその弟子」でも演出を担当していたと言う)。

 

また、劇団内・外の勉強会でもその語学力を活かして指導的立場にあったという。その辺りの事情は青山杉作氏や木村修吉郎氏の証言や、本人の日記からも窺い知ることが出来る。

 

上のチラシ写真で「舞台監督 黒田次雄」とあるのが爺さんだ。まあ、芸名とでもいった様なものなのだが、ちなみに黒田というのは存男の母・品子の旧姓。

 

ABOUTこの記事をかいた人

十代の頃より音大教授に師事しクラシックの作曲を学ぶ。オリビエ・メシアン、ジョン・ケージ、武満徹などの現代音楽に傾倒。また演劇の分野では、曽祖父や両親の仕事の関係で幼少時代より新劇に親しむ。その後、劇作・演出家の津上忠氏の演出助手等、演出の研鑽を積む傍ら、作曲家としてはNTT等企業の音楽や前進座等の舞台音楽、ポピュラー音楽の作・編曲・プロデュース、etc.。日本テレビ系列・日本テレビ音楽(株)顧問(サウンドプロデューサー)等を経て、2010年からは楽劇座芸術監督として作品を発表し続けている。公益社団法人・日本演劇協会会員。