関口存男と新劇 〜踏路社と関口演出術について(日本に於ける西洋演劇の系譜)〜

そういえば先日、爺さんの著書「素人演劇の実際」を読んだ座員から「ウチ(楽劇座)の稽古みたい〜!(「の様だ」の意。)」と言われ、話を聞いてみると「なるほど。確かに!」と思う部分しばしば。

実は私、この本、長文部分は読んでいたものの、坪内逍遥作・関口存男潤色「いつまでもつづくお話」の実践部分に関しては「流石に古かろう」などと勝手に決めつけ「そのうち時間が出来でもしたら読むとするかね」と思ったのはいつの日のことか?・・・まあ、月日が経つのは早いもので・・・という訳で、正直に申し上げると、全く(厳密には「ほぼ」)読んでおりませんでした。灯台下暗しとはよく言ったもので・・・まあ、言い訳はこのぐらいにして。

そう、この「素人演劇の実際」、演劇の指導書としては、実はなかなか気の利いた本で、演劇指導者の為の教本にはもってこいなのです。プロの演出家もそうですが、学校演劇の顧問の先生等、素人演劇の指導者にとっては必読の書と言っても過言ではない。

ただ如何せん、字や表現が古い。また、今風の演劇を普通に疑いなくやってきた人には少々解りづらい部分もあることだろう。そこで注記などつけて現代語に改定して「演劇の教科書を作りたいなあ」などという考えが浮かんでいる。

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存男の残した演劇ノートより「発声法について」。

我が家には、爺さんが残した演劇についてのノートやメモの他に、「ラインハルトの演出したる『幽霊』」というヤコプソンなる人物による評論や、エミール・ライヒ「イプセンの『幽霊』」といった論考を若き爺さんが翻訳した原稿(多分、爺さん22〜23歳当時のものでは無いだろうか)も残されており・・・イプセン「幽霊」は、爺さんが本格的に演出した最初の作品(踏路社第5回公演)・・・この辺りの文献と、日記などから推測される、当時、爺さんが読んでいたであろう理論書等を併せて読み解いていけば(研究が進めば)、日本に於ける西洋演劇の演出術、俳優術といった、その後、築地小劇場を経由し、俳優座、文学座等に続いて行く、いわば新劇の水脈とでもいった様なものが掘り起こせるかも知れない。

青山杉作氏は「われわれは、関口くんを中心に演目を決めて研究するようになった」と書き残しており、木村修吉郎氏は、演劇論やリアルに徹する自然法の演劇を方向付けしたという点で「関口は日本新劇史の中から、そうしても洩らす事の出来ない存在」と発言しており、この辺りも併せて考えると、爺さんの残したものが日本に於ける西洋演劇の歴史の空白部分を埋める1ピース(ちょっと大げさかもしれんが)となりうるのかもしれない。少なくとも踏路社の演出術に関しての輪郭がかなりはっきりしてくるのではないだろうか。

私にとって優先順位の高い仕事であることは間違いなさそうだ。勿論、これはエッセイとしてではなく、論文として書くべきだろう。

ABOUTこの記事をかいた人

十代の頃より音大教授に師事しクラシックの作曲を学ぶ。オリビエ・メシアン、ジョン・ケージ、武満徹などの現代音楽に傾倒。また演劇の分野では、曽祖父や両親の仕事の関係で幼少時代より新劇に親しむ。その後、劇作・演出家の津上忠氏の演出助手等、演出の研鑽を積む傍ら、作曲家としてはNTT等企業の音楽や前進座等の舞台音楽、ポピュラー音楽の作・編曲・プロデュース、etc.。日本テレビ系列・日本テレビ音楽(株)顧問(サウンドプロデューサー)等を経て、2010年からは楽劇座芸術監督として作品を発表し続けている。公益社団法人・日本演劇協会会員。